
先日、我が家のウスカワマイマイが卵を産みました。
このブログが「こつむ日記」という名前なのは、最初に飼育したウスカワマイマイに「こつむ」と名付けたことが始まりです😊こつむの子どもを育て、さらにその子どもを育てる。気がつけば約5年が経ちました😌
我が家ではいくつかの種類のカタツムリが日々産卵をしますが、やはりウスカワマイマイの産卵は特別です。今回は、その出来事から気づいたことを書いてみたいと思います。
ウスカワマイマイの産卵
それは飼育ケースの清掃中のことでした。
湿らせた砂利の中に、一匹のウスカワマイマイが静かに体を埋めていました。
その周囲には、透き通った卵がいくつも並んでいます。
さらに産卵を終えたばかりだったのでしょうか、口元には二、三粒の卵が残っていました。
あまりの美しさに、私はそっと殻を支え、カメラを向けました。
「今年も産んでくれて良かった。」
その感動を分かち合いたくて、写真をSNSに投稿しました。
最近、私は海外の愛好家が集まるSNS、Redditのカタツムリコミュニティにも参加しています。
そこでは、日本のSNSとは少し違う視点のコメントが寄せられ、とても刺激的です。
思いがけない一言
その写真に、こんなコメントが届きました。
“Please don’t pick them up while they’re laying. It can stress them.”
産卵中に持ち上げないでください。ストレスになります。
その一文を読んだとき、私は少しだけ胸がざわつきました。けれど、何度も読み返すうちに気づいたのです。
コメントを下さった方が守ろうとしていたのは、写真の完成度でも、私の感動でもなく、ただ「産卵という時間」そのものだったのだと。
私のはじまり
思い返せば、最初にこつむを飼育していた頃、私は「どうか卵を産んでほしい」と強く願っていました。専門書を読み、産卵しやすい環境を整え、毎日様子を見守りました。
そして、ついに最初の産卵。
そのときの私は、卵に触れることも、写真を撮ることもできませんでした。
「潰してしまったらどうしよう」
「卵を踏んでしまわないだろうか」
「産卵後に弱ってしまわないだろうか」
一晩中、そんなことを考えていたのを覚えています。
当時は知識も少なく、不安だらけでした。それでも一つだけ、強く感じていたことがあります。
それは、産卵は、生き物にとって“生存をかけた一大事”だということ。
やがて私は、卵が踏みつぶされる可能性も考え、先ずスマホで写真を撮ってから、勇気を出して爪楊枝でそっと移動させました。
それから約5年。産卵は、私にとって次第に日常になっていきました。
けれど、日常になるほどに、その「一大事」であることを、少し忘れかけていたのかもしれません。
産卵という時間

テレビで産卵するウミガメの姿を見ることがあります。
夜の浜辺で静かに穴を掘り、涙を流すように見えるあの姿。
実際の涙は塩分排出だと言われていますが、それでも胸を打たれるのは、そこに“命を繋ぐ営み”を見るからでしょう。
撮影者が産卵中のウミガメに触れることはありません。それは、生き物への敬意があるからです。
何億年もかけて続いてきた生命の営みの最中に、人間が不用意に介入しないという、静かな理解。
カタツムリもまた、同じ時間の中に生きています。
可愛いの向こう側
最近、TVで話題になっている、ぬいぐるみを抱えた子ザル「パンチくん」の姿があります。
(千葉県の市川市動植物園で飼育されています。)

その姿は確かに可愛らしく、多くの人の心を打ちます。けれど私たちが本当に心を動かされるのは、その奥にある“懸命に生きようとする姿”ではないでしょうか。
「可愛い」と思う気持ちは尊い。けれど、その向こう側には、必死で生きる時間がある。
今回のウスカワマイマイの産卵は、そのことを静かに教えてくれました。
可愛い姿は距離を置いて見守る
今後は、可愛いカタツムリの産卵時は、私はこれから少し距離を置こうと思います。ライトを落とし、触れずに見守る。
近づくことだけが愛ではない。一歩引くことも、また優しさなのだと。
透き通った小さな卵は、私にそんなことを思い出させてくれました😌

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