カタツムリは、様々な芸術家の作品のモチーフとして使用される事があります。今回は、イタリアの画家フランチェスコ・デル・コッサ(以下、コッサ)の作品「受胎告知」を取り上げて、この作品の魅力と、作品に描かれている「カタツムリ」を取り巻く様々な解釈ついて詳しく解説します🧑🎨
コッサについて
コッサは、イタリアの初期ルネサンスの画家です。彼は1430年頃にフェラーラで生まれ、1478年にボローニャで亡くなりました。彼は、自然主義と明るい色彩の使用で知られるフェラーラ派の画家のグループの一員でした。
コッサの受胎告知
「受胎告知」とは、キリスト教の聖書「ルカの福音書」に登場する、大天使ガブリエルが聖母マリアに「受胎告知」をする場面の事です👼
ちなみに、「マタイの福音書」では、天使は、養父ヨセフの夢に現れて、マリアの懐妊を知らせています。また一般的に、ヨセフへ天使が知らせている場面は「ヨセフへの受胎告知」や「ヨセフの夢」などと呼ばれています。
福音書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つがあります。それぞれが、主キリストについて、違う事柄や同じ事柄を別の視点から記しています。なお、マルコ、ヨハネの福音書には、天使が処女懐妊を知らせる場面はありません。また、処女懐妊については、マタイ、ルカの福音書の第1章に記されていますが、マルコ、ヨハネの福音書の第1章には、洗礼者ヨハネから主キリストがバプテスマを授かる場面が中心に記されています📖
なお、このルカの福音書の聖母マリアへの「受胎告知」の場面は、とても有名な聖書の場面でもあり、様々な芸術家により描かれております。そして、今回ご紹介する、コッサの「受胎告知」は、他の作品と比べても、とてもユニークな手法を用いて描かれています。例えば、この作品には以下のような特徴があります。
- 全体的な構図は、上部の8割に「受胎告知」、桟の仕切りの下部から2割に「キリストの降誕」が描かれている。
- 全体の構図の仕切りの桟の上、もしくは絵の中の床を這うように、「カタツムリ」が描かれている。
- 大天使ガブリエルの天使の輪が、演劇の被り物の小道具ように表現されている。
また作品の全体として、遠近法や譬喩表現、トロンプ・ルイユ(騙し絵)と呼ばれる手法など様々な絵画の手法が織り込まれた作品となっており、見る者を引き摺り込むような不思議な魅力があります。
そして、コッサの「受胎告知」に描かれた「カタツムリ」は、これらのユニークな作風から、複数の美術批評家により、様々な解釈がなされています。
著書:「なにも見ていない」名画をめぐる六つの冒険
美術史家のダニエル・アラスは、著書「On n’y voit rien -なにも見ていない- 」の「カタツムリのまなざし」の章で、ウォーバーグ研究所の美術史家ヘレン・S・エットリンガーの、コッサの「受胎告知」に対する解釈について批判し、ダニエル・アラス自身の視点から、コッサの「受胎告知」の新たな解釈を展開しています。
リンク🔗ウォーバーグ研究所(イギリス)
カタツムリはマリア様🤔
ヘレン・S・エットリンガーは、著書「The Virgin Snail」の中で、初期ルネサンスの画家たちは、カタツムリが露(つゆ)により、受精すると信じていたと述べています。また、聖母マリアは、処女としてキリストを身ごもり、更に「大地が慈雨の恵みを得て、肥沃となる」豊穣を司る女神様のように表現される事が歴史的に多いため、カタツムリは聖母マリアを表していると解説しています。
【参考文献】「The Virgin Snail/ヘレン・S・エットリンガー」シカゴ大学
ダニエル・アラスの批判
しかしダニエル・アラスは、著書「The Virgin Snail」の解釈については「もし、カタツムリが『豊穣や聖母マリア』を表してる(とても自然なモチーフ)ならば、もっとカタツムリが描かれた宗教絵画が多いのでは🤔』と疑問を投げかけています。
ダニエル・アラスによると、服や墓地のモチーフとして、カタツムリが表現される事はあるが、宗教絵画(祭壇画)には、コッサの他にカタツムリを描いた事例は少なすぎると述べています。
そして、ダニエル・アラスは著書の中で、カタツムリの左上の対角線上に描かれている「祝福の鳩を迎える神様の姿」と「カタツムリの姿」の類似点を指摘しています。
カタツムリは神様🤔
コッサの「受胎告知」は、作品の真ん中に大きな円柱があり、右手にマリア、左手に大天使ガブリエルが描かれています。なお、このガブリエルは、演劇の小道具のような、天使の輪を被っています。
また、この円柱がガブリエルと聖母マリアの間に配置されているのは、ガブリエルは神聖的な力により、聖母マリアを見ており、円柱越しに(透視👀)見ている事を表現しているようです。たしかに、他の作品でも、ガブリエルは、聖母マリアを直視せずに、建物の外から告知してる絵画は、他にも例があります😊
そして、カタツムリと丁度、対角線の左上のガブリエルの遥か頭上には、「小さい祝福のハト(ほとんど点)を迎える神様」が描かれ、その神様のお姿は、カタツムリと同じポーズをとっており、カタツムリと神様は、とても似た構図になっています。
つまり、カタツムリは神様を表現しているようにも、描かれているのです。
カタツムリのまなざし
ダニエル・アラスは、この作品は、様々なトリックや遠近法が織り込まれている事により、この作品を見る人は「(肝心なところは)なにも見ていない」と述べています。
まさに、カタツムリと神様が同じように描かれている事に気がつかない私たちは、「なにも見ていない」のと同じと言えるのかも知れません。
そして、ダニエル・アラスは、もしかしたら、コッサ自身も知らない事だろうが、カタツムリは目がほとんど見えず、嗅覚を用いて事物を把握していると述べています。そして、カタツムリの目は僅かに光を感じる程度だが、そのカタツムリのまなざしは、聖母マリアに向かっている事に気付き、驚きを隠せなかった旨を、著書の最後に述べています。
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カタツムリは何を表現しているのか🤔
結局のところ、コッサの「受胎告知」に描かれているカタツムリは、様々な解釈が出来るため、カタツムリの表現については、見る方の解釈に委ねられます。
ちなみに、ダニエル・アラスは、著書ではふれていませんが、コッサの「受胎告知」は更に絵画の下に目を向けると、桟の下側には「キリストの降誕」が描かれており、さらにカタツムリの左下(円柱の真下)には、家畜小屋でお生まれになった、主キリストのお姿が描かれております✝️
そして、カタツムリと主キリストのお姿は、どこか似ていると思いませんか🤔
なお、この作品の重要なモチーフとして描かれている「カタツムリ」は雌雄胴体の生き物で、男女の区別がなく、海の貝のようでありながら、陸に住んでる、とても不思議な生き物です🐌
また、このような様々な解釈を思い巡らす、私たちが「どのように物事を見て、聞くのか」については、マタイの福音書では、以下のように記されています。
10 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。 11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 12 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 13 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。
マタイの福音書 第13章10節〜13節
皆さんは、コッサの「受胎告知」に描かれているカタツムリは、何を表していると思いますか😊
宜しければ、「カタツムリは何を表現しているのか?」について、皆さんのお考えを教えてくださいね😄
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