柳田國男について
「国語が国民の生活そのものであり、人に頼んで考えてもらってよいような、気楽な問題ではないということが、この頃のように痛切に感じられる時代も稀である。」
柳田國男-『蝸牛考 』改訂の序より抜粋
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柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 – 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章(没時陞叙)。
📖Wikipediaより引用
柳田は、『遠野物語』という作品が有名で、民間の伝承やご近所話などが119話収められた作品となっています。また、柳田は、戦前、朝食にタピオカを食べていたそうで、数年前のタピオカブームの頃、話題になりました☺️
『蝸牛考』の評価
今回取り上げる『蝸牛考』は、柳田が日本の方言を扱った内容で、「方言周圏論」を初めて取り上げた内容となっています。しかしながら、柳田は『蝸牛考』の改訂版の序で、「方言周圏論のために、この書を出したというのは、身を入れて読まない人の早合点だ」と述べています。また「なぜ、今更、周圏論なんて、普通な事をわざわざ証明しなければならないのだろう」と嘆いております。
なぜ『蝸牛考』は、一般的な世間の評価と、柳田の評価に食い違いがあるのでしょうか🤔
その理由について、今回は私なりに考察してみたいと思います😊
『蝸牛考』の構成 -前半-
『蝸牛考』は、20章から成り立っています。全体的に、本書では、カタツムリのさまざまな各地の呼び名を300種以上取り上げて、前半では、主に「デンデンムシ」と「マイマイ」の領域に分け、日本各地の文化を背景に、子供の主導による言語の変遷が記述されています。そして、その各地のカタツムリにまつわる童歌が紹介されています。
(例)
能登鹿島郡
でんでんがらぽ、ちやつと出て見され、わがうちや焼ける
常陸新治郡
まいまいつぼろ、小田山焼けるから、角だして見せろ
『蝸牛考』の構成 -後半から最終章-
後半の「訛語と方言と」の章では、東北でカタツムリを「タマグラ」、九州では広く「ツグラメ」と同系とも思われる表現が使用され、カサとカタカタが伊予・土佐・能登・伊豆から北国の出羽の果てまで、同じ表現が見受けられることから、「方言周圏説」を裏付けるものであるという趣旨の主張をしています。
最終章の「方言周圏論」では、各地の子どもたちが、その土地の言葉でカタツムリの童謡などを歌っていたことや、カタツムリの殻を、笠の巻き目と見たり、角を棒ややりに見立てている様子について、「大人では思いつかないのでは」と関心を示しています。また、かつての成人も、そんな「子どもらしさ」を持っていたと評しています。また、いわゆる「デンデンムシ、カタツムリ」(カタツムリの唄)が、小学校の教育として採用されると、もともとあったその地方のカタツムリの呼び名が、格好つかないものとなったことを柳田は、嘆いています😞
そして、岩波文庫版の巻末には詳細なカタツムリ異名分布表や分布図が付属しています。なお分布図は、京都を中心に各地でカタツムリの表現が変化している様子が記されています。※岩波文庫版の表紙にはその分布図が掲載されています。☆が京都を示し、長方形は日本列島を指しています。京都を中心として、デデムシ→マイマイ→カタツムリ→ツブリ→ナメクジと波紋のように言葉が変遷した事を表しています。
「児童の力」と「蝸牛角上の争闘」
結論を申し上げますと、『蝸牛考』は、確かに、「方言周圏論」について述べています。しかし一方で、蝸牛(カタツムリ)にまつわるさまざまな表現を、周圏的に各地に広めた、「子供たちのこれまでの言葉を変えていこうとする力」と、各地の童謡を制することになった「国語に対する歌謡・唱辞の要求」への反省を述べている側面もあります。そして、改訂版の序では、東條操が提唱する「方言区画論」への柳田の批判も見受けられます。
さらに、本書の「解説」を記した柴田は、方言区画論の柳田の批判に対して、「方言周圏論は、方言の歴史的変遷を捉えた動態的な説明であるのに対して、方言区画論は、方言を土地区分として静態的な手法であり、対立すると考えるのは少々見当違いだ」という趣旨の批判を加えています。
『蝸牛考』は、いわば、日本の言語学/民俗学の「蝸牛角上の争闘」という側面もあるようです🐌⚔️🐌
しかし、柴田が「解説」で「周圏論で説明できない民俗現象があまりにも多く、民俗学関係では周圏論はあまり問題にされなくなった」と記している通り、柳田の「方言周圏論」は、その後不遇の時代を迎えます。
「方言周圏論」の再評価
そして、時代は流れ、柳田國男が亡くなった、約30年後の平成3年に「方言周圏論」は意外な転機を迎えます。
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ある大阪生まれのサラリーマンの男性が、東京出身の妻と言い争う際に、自分は「アホ」妻は「バカ」と言い、お互い使い慣れない言葉でなじられ傷付くという経験から、「ふと『東京と大阪の間に「アホ」と「バカ」の境界線があるのでは?』と思い、「東京からどこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか調べてください」と番組に依頼し、番組のプロデューサー(松本修)が調査にあたる。
📖Wikipediaより引用-アホ・バカ分布図-
実際に詳しく全国の地域を行脚・調査をしてみると、「アホ・バカという表現」は京都を中心とした、同心円状に離れた同じ距離の違う地方で、同一の方言が使われていたことが判明するなど、日本語の方言における「方言周圏論の検証例」として『日本語学上大変貴重な』調査結果を出すことになります。
松本修は、現在でも「周圏論」に取り組まれており、2022年には『言葉の周圏分布考』が発刊されています。
『蝸牛考』を考えて
柳田は、『蝸牛考』の改訂の序で次のように述べいます。「(方言周圏論は)学者に認めてもらうだけでも、まだ大分の年月がかかる事であろう」
この『蝸牛考』の初版が『人類学雑誌』四二巻-四-七号に、上梓されたのが、1927年ですから、大変長い年月をかけて、再評価されたのです。
それは、まるでカタツムリの歩みのように「ゆっくり」です。そう言えば、インドの政治指導者のマハトマ・ガンジーは、『ヒンド・スワラージ(真の独立への道)』の中で次のように述べています。
【原文】
“Good travels at a snail’s pace. Those who want to do good are not selfish, they are not in a hurry, they know that to impregnate people with good requires a long time.”
【和訳】
「良いことはカタツムリのようにゆっくりと進みます。良いことをしたい人は利己的ではなく、急いでいません。人々に良いことを浸透させるには長い時間が必要であることを知っています。」
「万人の幼き日の友」
柳田は『蝸牛考』の初版序で、カタツムリを「万人の幼き日の友」とも記しています🐌、私達の「幼き日の友」が、こんな壮大な話に巻き込まれているなんて、驚くばかりです😤
私が考えるに、カタツムリの呼び名が、同心円状になっているのは、「カタツムリと万人の幼き日の友達の輪」なのではないでしょうか🙆
これで、「『蝸牛考』を考える」は以上です🐌
長文をお読み頂きありがとうございます。本ブログについて、ご指摘等がございましたら、どうぞコメント欄までよろしくお願いします🙇♂️
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